松江春次氏 南洋開拓拾年誌より

松江春次氏著の南洋開拓拾年誌を借りる事が出来たので読み始めました。

旧漢字が沢山あって、意味は何となく分かる気がするけど何て読むんだろう?

と言うのが多く、、なかなか進まないです。

 

その中にカラベラ洞窟について触れている部分があったので記録しておきたいなと思いました。

かいつまんで書くとこういうことです。

 

マゼランが島を発見してスペインの植民地にし、宣教師達がキリスト教の普及に勤めます。

あれやこれやとうるさい宣教師達やスペイン統治のあり方に反抗した島民軍が結局は

スペイン人たちに追い詰められ悲惨な虐殺の場となったのがカラベラの大洞窟と

言い伝えられています。

 松江氏はこの頃島民達は今のように無気力ではなかったとも書いています。

 この頃と言うのはたぶんこの本が書かれた昭和7年(1932年)頃かと思われます。

 

スペインVSチャモロの宗教戦争が始まるとスペイン人は飲料水にペスト菌、チフス菌を混入して

島民の全滅を図り老若男女をグアムへ拉致したり、多くの島民を虐殺し、老人や子供、女性達は

拉致されてグアムへ連れて行かれた。

この時の島民虐殺の場としてカラベラ(骸骨)と言う地名がついた。

東北帝国大学の長谷部言人博士がカラベラ(骸骨)と言う地名に興味を覚え専門的な

発掘を行った際、夥しい骸骨を発見した。

 

又、こんな記述もありました。

 

窟の奥は空井戸のようになっており今だその底は窮められていないが、恐らくは海面と通じて

いるのだろうと想像されるのである。

世の海賊横行時代に海賊が略奪してきた財産をこの洞窟に隠匿しておいたと言う、いかにも

まことしやかなが傅説が絡まっている為に一時洞窟の中を発掘する事が流行し、特に勇敢な人が

ロープを身体に縛りつけ空井戸の中に下がってみたようであるが大蝙蝠に顔をなでられ、蝋燭の日が

消え命からがら逃げ出し終わったようである。

 

カラベラ洞窟に関してこのよう記されていました。

海底とつながっていて海賊が財宝を隠していた、、かも! と言う噂話が

当時の開拓移民の間に広がっていたという事は始めて知りました。

島民虐殺のお話は読んでいて辛い話ですが、海賊の財宝と言うのはなんだかワクワクします。

結局何も出てこなかったようですが実は一度中に入ってみたいとずっと思っています。

パウパウ探検隊を組んで何時か入ろうと計画中です。

又、このカラベラは大正6年(1917年)南洋殖産と言う会社が製糖工場を作った

場所でもあるそうです。 何でこんな遠くに工場を作ったんでしょうね。

南洋開拓拾年誌にはまだまだ興味深いお話がたくさんあります。

追って記録して行きたいと思っています。

  

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