マリアナ諸島激動の歴史

スペイン統治時代

タポチョ山頂のキリスト像
タポチョ山頂のキリスト像

マリアナ諸島激動の歴史はここから始ります。

 

1565年、スペインが西欧諸国に対しマリアナ諸島の領土はスペイン領とする!と宣告し、スペイン統治時代が始まります。

 

日本ではその年、室町幕府13代征夷大将軍【足利義輝】が襲撃されて討ち死にしています。(永禄の変) 世界的に有名な【マルタ包囲戦】もこの年です。

 

それから3年後1668年にサン・ヴィトレスとその一行がグアムの沖合いに到着します。

原住民達が早速カヌーに乗って近付いて来ます。ナイフや鉄と交換するために

バナナやココナッツを持って船を取り囲みました。

翌日サン・ヴィトレス一行はグアム島に上陸します。そこで通訳を通し【永遠の救いの道】をチャモロ人に伝えるためにやって来たと伝えます。

そこで沢山の人が宣教師の話を聞き洗礼を受けるわけです。こうしてキリスト教はグアム島からマリアナ諸島に広がっていきます。

 *サン・ヴィトレスはフィリピンで2年間暮らしておりそこでチャモロ語を習得していたそう 

 です。

 

   

キリスト教

サイパン蝋人形館内展示品
サイパン蝋人形館内展示品

順調に普及されていたキリスト教ですが、チャモロ人達の習慣にいちいち干渉して来る神父達への反感が出始めます。

 

先ず亡くなった方の埋葬習慣です。

チャモロ人たちは先祖の霊を大変大事にし、亡くなった人の頭蓋骨をバスケットに入れて家に吊るし亡骸は庭に埋めました。

肉体は死んでも先祖の魂は永遠に家にとどまると考え、先祖の魂を崇拝していたからです。

チャモロの人々は一族の土地は霊的なものもあり、更に神聖なものだと考えていました。 

一番神聖なのは一族の土地である

サイパン蝋人形館内展示品
サイパン蝋人形館内展示品

キリスト教の宣教師達はこれを悪習とみなし、亡骸は共同墓地を作ってそこに埋葬すべきだと説きます。 が、しかし、一族の土地以上に神聖な場所は無いと信じるチャモロ人たちを激怒させました。崇拝するべき先祖の霊や愛すべき家族を他の土地に埋めるなど、チャモロ人には耐え難い事だったのです。又、チャモロの人々は洗礼を受けた後であっても、魔術師や呪術師を信じていました。

 

これは現代でも一部では信じられています。ウイッチドクターと言われる魔術師が現代でも存在しています。

チャモロ VS スペイン宗教戦争

333年の終結

サイパン蝋人形館内展示品
サイパン蝋人形館内展示品

宣教師達がマリアナ諸島に上陸して2ヶ月もたたない間に神父が住民に襲われ怪我をします。その後次々と宣教師達が襲われます。

翌年テニアン島で先住民同士の争いが始まり、サン・ヴィトレスは仲介の為にテニアンを訪れますが彼はその両者からも敵対視されてしましまいます。サイパンでは神父が先住民の待ち伏せにあい殉職します。グアムでは強制的に産まれた赤ちゃんを洗礼しようとした神父が殺害されます。こうして20年にもわたるチャモロvsスペインの全面戦争に突入したのです。その時にスペイン人が持ち込んだ天然痘により推定5万人近くの原住民が亡くなり、純潔のチャモロは殆ど生存しなくなったと言われています。

その後スペインの政策として住民は全て別の島へ移され、一時サイパン島は無人の島となったようです。

その後、カロリン諸島のサタワル岩礁から酋長アグラグに率いられた一団がサイパン島にやって来ました。その頃既にスペイン人は島に人が住む事を許していた為、アグラグ率いる一団はサイパン島に定住します。

そして1898年、アメリカとスペインの間で起きた米西戦争によりスペインはカリブ海や太平洋の島々を失うのです。

こうしてサイパンのスペイン統治時代は終わります。